大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和34年(ワ)565号 判決 1965年11月22日

原告 渡辺直経

被告 国

訴訟代理人 田中治彦 外一名

主文

一、被告は別紙<省略>第一物件目録記載の土地について東京法務局台東出張所昭和二六年三月二三日受付第三、六五三号の、同第二物件目録記載の土地、建物について同出張所同年四月二五日受付第五、五六五号の各所有権取得登記の抹消登記手続をせよ。

二、被告は原告に対し、別紙第一、第二物件目録記載の土地、建物を引渡し、かつ、昭和三六年九月八日から右引渡しずみに至るまで一カ月金一〇〇、〇〇〇円の割合による金員の支払をせよ。

三、原告のその余の請求を棄却する。

四、訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一、当事者の申立

原告訴訟代理人は主文第一、四項同旨および「二、被告は原告に対し、別紙第一、第二物件目録記載の土地、建物(以下本件土地、建物という。)を引渡し、かつ、昭和三三年六月一日から右引渡しずみに至るまで一カ月一〇〇、〇〇〇円の割合による金員の支払をせよ」との判決ならびに第二項について仮執行の宣言を求め、被告訴訟代理人は「一、原告の請求を棄却する。二、訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求めた。

第二、当事者の主張

(請求原因)

一、原告は、被告との間で、その所有にかかる別紙第一物件目録記載の土地(以下第一物件という。)について昭和二六年三月一二日代金一、五〇〇、〇〇〇円で、別紙第二物件目録記載の土地、建物(以下第二物件という。)について同年四月二〇日代金三、五〇〇、〇〇〇円で、それぞれ売買契約を締結し、そのころこれを被告に引渡し、第一物件については東京法務局台東出張所昭和二六年三月二三日受付第三、六五三号をもつて、第二物件については同出張所同年四月二五日受付第五、五六五号をもつて、被告(最高裁判所)のために所有権取得登記手続がなされた。

二、右売買契約は要素の錯誤により無効である。

(一) 本件土地、建物は、昭和二六年度またはこれに近接する年度に着工すべき台東簡易裁判所の敷地として売買されたものであり、このことは契約当時原告に対して表示されていた。

(二) そこで原告はこのことを信じ、当時東京大学の助教授であり、かつ父祖の時代から特に国家の恩恵に浴していたこともあり、本件土地に台東簡易裁判所の庁舎が建設されることは裁判所のためにもなり、台東区民の福祉の増進にもなるものと考え、原告の祖先から居住する愛着ある土地であり、少なくとも時価一〇、〇〇〇、〇〇〇円以上の本件土地、建物を半額にも満たないわずか五、〇〇〇、〇〇〇円で売渡すことを承諾した。したがつて、本件土地を前記目的に従つて使用することは、本件売買契約の内容の重要な部分となつていたのであるから、被告の義務に属するものというべきである。

(三) ところが最高裁判所は昭和三三年中に、台東区御徒町に台東簡易裁判所の庁舎を建設し裁判事務等をとりつつあり、一方本件土地、建物は売買契約成立以来一〇余年にわたり荒廃したまま放置されているのであつて、本件土地が台東簡易裁判所の敷地とならなかつたことは明瞭であり、被告は前記義務に違反したものである。

(四) 原告が前記のとおり誤信しなければ、売渡の意思表示はしなかつたものであり、何人も原告と同様このような意思表示をしないのである。したがつて、本件売買契約における原告の売渡の意思表示は、その重要な部分に錯誤があり、無効である。

三、被告は昭和三三年六月一日以降本件土地、建物を使用して賃料相当の一カ月一〇〇、〇〇〇円の割合による金員を不当に利得しており、原告は右同額の損失を受けている。

四、よつて原告は被告に対して次のとおり請求する。

(一) 前記各登記の抹消登記手続

(二) 本件土地、建物の引渡

(三) 昭和三三年六月一日から本件土地、建物引渡しずみに至るまで一カ月一〇〇、〇〇〇円の割合による金員の支払

(答弁)

一、請求原因第一項は認める。(ただし、売買契約の日は第一物件は三月二二日、第二物件は四月一九日である。)

二、同第二項について

(一)について

本件売買契約の当事者間において、本件土地、建物が台東簡易裁判所の敷地として購入されるものであることが表示されていたことは認めるが、その建設の時期等については何も表示されていなかつた。

(二)について

原告はむしろ当時本件土地、建物を持て余しており、裁判所に買上げ希望を持つていたので適正妥当な代金で買受けたのである。

(三)について

現在の二長町の台東簡易裁判所の庁舎に調停室を増築したことはあるが、台東簡易裁判所を新営もしくは増営したことはなく、まだその新造営に着手する運びに至らないので、本件土地、建物は現在台東簡易裁判所分室として管理しているのであつて、最高裁判所が本件土地、建物を他の用途に使用するとか、用途廃止をして大蔵省に移管するとかの計画は全くない。(台東簡易裁判所の現庁舎は、そのほとんどが法務省よりの借上げに依存している状態である。)

(四) このように、契約当初から現在に至るまで本件土地、建物の使用目的には何ら変更がなく、仮に右使用目的が要素になるとしても、錯誤の存在をうんぬんするのは当たらない。

三、同第三項は争う。

第三、証拠関係<省略>

理由

一、原告主張のころ本件土地、建物について原告主張の代金で被告との間に売買契約が成立してこれが被告に引渡され、原告主張のような登記がなされたことは当事者間に争いがない。

二、錯誤の主張について

(一)  本件売買契約の締結に当たつて、被告が本件土地、建物を台東簡易裁判所の建設敷地として買受けるものであることを原告に表示していたことは当事者間に争いがない。

(二)  しかし、成立に争いのない甲第五号証の一ないし一六、第六号証の一ないし三〇および証人畔上英治、二宮節二郎、鬼沢末松、八杉市松(第一、二回)の各証言を総合すれば、本件売買契約成立当時は、最高裁判所当局は本件土地、建物を台東簡易裁判所の敷地として使用する目的を有しており、この購入に際して行なわれた東京地方裁判所長と大蔵省との協議も、また同所長から最高裁判所あての上申もすべてこのことを前提としてなされていることが認められるのであつて、前記原、被告間の表示と異なり、真実はそのような使用目的がなかつた事実を認めるに足りる証拠はない。

(三)  そして、錯誤にあつては、意思表示の基礎となつていた事実に対する認識を表示当時すでに誤つていた場合、すなわち環境についての誤認が存在したがゆえに、当初の意思表示が無効とされるのであるから、意思表示に錯誤が存するかどうかは、意思表示の時を基準として判断すべきものであつて、意思表示の後に至つて新しく発生した事情によつて真意(動機の錯誤にあつては外界の事実)自体が事後的に変更し、当初の表示と真意(外界の事実)が不一致を来たしたような場合は錯誤の観念に含まれないものと解すべきであり、右のとおり本件売買契約においては意思表示の当時には表示と外界の事実との間に何らのくい違いがないのであるから、錯誤の主張は理由がない。

(四)  本件売買契約の締結に当たつて、被告側の者と原告との間において、本件土地に建設する台東簡易裁判所は昭和二六年度またはとれに近接する年度に着工すべきものと表示されていたことを認めるに足りる証拠はない。したがつて、この点に関する原告の錯誤の主張も理由がない。

三、債務不履行について

(一)  証人八杉市松(第一、二回)、渡辺富佐江の各証言および原告本人尋問の結果によれば、原告としては当時本件土地、建物を売却する必要性はなく、その意思もなかつたが、八杉弁護士から本件土地が台東簡易裁判所の敷地に適当であるから国のためを考えてぜひとも売渡を承諾してもらいたいと強く懇願されたので、当初なかなかこれに応じなかつた原告も、本件土地、建物が台東簡易裁判所として使用され、公共の目的のために役立つならばやむを得ないと思料し、価格の点での非常な不利益(この点は後に認定する。)をしのんで遂にその売渡を決意したものであることが認められる。

なお、証人八杉市松(第一、二回)、鬼沢末松、二宮節二郎の各証言を総合すれば、本件売買契約の締結に当たつては、八杉弁護士がもつぱら原告と代金等に関する交渉を行なつて契約の成立に至らしめたものであること、同弁護士がこのような努力を払つたのは、台東簡易裁判所の調停委員としてみずからその敷地の確保については利害関係と希望を持つていたことによるものであつたが、一方右の交渉をするに際し東京地方裁判所長等からも、本件土地、建物の売買契約の成立のために骨折つてもらいたい旨を依頼されていたことが認められる。したがつて、八杉弁護士の原告に対する前記のような言動は、裁判所側の意思と無関係にその一存でなされたものではなく、被告の意を受けてなされたものであるというべきである。

(二)  次に、成立に争いのない甲第四号証の一、二によれば、本件土地、建物の昭和二五年度の固定資産税の課税標準価格は合計九、八二八、八〇〇円であつたことが認められ、右事実と昭和二六年四月当時の本件土地、建物の売買取引価格は一〇、三四六、四〇〇円が妥当であつたとする鑑定の結果をあわせ考えれば、売買契約成立当時の本件土地、建物の時価は一〇、〇〇〇、〇〇〇円以上にのぼつたものというべく、これと対比するならば実際の売買価格五、〇〇〇、〇〇〇円は時価の半額以下であつたということになる。

右認定に反する乙第五、六号証は採用の限りではない。

(三)  以上のとおり、原告は本件土地、建物が台東簡易裁判所の敷地として利用されると信じたからこそ、これを時価の半額にも満たない金額で被告に売渡すことを承諾したものというべく、これが右のような使用目的に供されないとしたならば、決してこのような金額で売渡さなかつたであろうことは明白であり、被告側も八杉弁護士を通じて、台東簡易裁判所の敷地として使用するからとの理由で極力売却方を頼み込んでいるのであるから、このような事情を考慮するならば、本件土地が台東簡易裁判所の敷地として使用されるものであるとの事実が、原、被告間で単に表示されていた(このことは当事者間に争いがない。)というにとどまらず、本件売買契約において、暗黙のうちに被告は原告に対して本件土地を台東簡易裁判所の敷地として使用すべき法律上の債務を負つたものと推定するのが相当である。

(四)  ところで、証人鬼沢末松の証言と検証の結果によれば、本件土地、建物は台東簡易裁判所としては使用されておらず、その一部を東京地方裁判所の事務局長と職員が居住使用しているに過ぎないことが認められ、また、弁論の全趣旨によつてその成立を認め得る乙第七号証の一、二と証人鬼沢末松の証言を総合すれば、昭和三三年六月、既存の台東簡易裁判所の敷地に庁舎が増設され、法廷、調停室に使用されていることが認められる。さらに、証人八杉市松(第一、二回)、鬼沢末松、畔上英治の各証言によれば、最高裁判所に対して本件土地、建物の売却についての交渉、働きかけが数回あつたことが認められる。

以上の事実と、買入後すでに一四年間も経過しているにもかかわらず、本件土地に台東簡易裁判所を建設する工事等に着手し、あるいは建設の具体的計画があるという証拠が全くなく、買入時のままに放置されていることとを総合判断すれば、被告としては本件土地を台東簡易裁判所の敷地として使用するという当初の目的をもはや有していないものと推認せざるを得ない。

(五)  このように、被告は、一四年間(訴提起の時まででも八年間)を経過してもその債務を履行しないばかりか(土地収用法第一〇六条第一項は、「収用の時期から五年を経過しても収用した土地の全部を事業の用に供しなかつたときは、収用の時期に土地所有者であつた者はその土地を買い受けることができる」としており、本件売買契約には台東簡易裁判所を建設すべき期限について明確な定めがあつたことは認められないが、右の五年という期間は、一応の合理的な基準とすることができる。)、右債務を履行する意思をもはや有していないのであるから、被告には本件売買契約における債務の不履行があることは明白であり、この債務不履行は、前記のような売買契約成立の事情にかんがみ、契約解除の原因となるものといわなければならない。(前記(二)で認定した事実からすれば前記契約の実体は売買と贈与の混合契約と解するのが相当であり、贈与契約にあつては契約履行後も受贈者に忘恩行為などがあつた場合に契約の解除を認めるのが相当であると解される点からしても、本件売買契約において右のような債務不履行があつた場合に解除権を認めることが公平に合致するものと考えられる。)

また、本件においては右のとおり被告は本件土地に台東簡易裁判所を建設する計画を実行する意思を有しておらず(昭和三三年に従来の台東簡易裁判所を増築しているところからみると、訴提起のあつた昭和三四年当時も同様であつたものと推測し得る。)、その債務の性質上、相当期間内に被告が意思を翻して履行する場合はもはやほとんどあり得ないと考えられ、相当な期間を定めて履行の催告をしてもこれが徒労に終ることは明らかな場合であるから、解除の前提としての右債務の履行の催告は不要であるものと解すべきである。

(六)  記録によれば原告は本件訴状において、本件土地以外に台東簡易裁判所が建設されてしまつたから、本件売買契約は錯誤によつて無効であるとして本件土地、建物の返還を求めていることが明らかであるから、右訴状には本件売買契約の解除の意思表示をも含むものと解せられる。

したがつて、本件売買契約は右訴状が被告に送達された日であることが記録上明らかな昭和三四年二月二四日限り、被告の債務不履行によつて解除されたものというべく、その原状回復義務として、被告は本件土地、建物についての被告(最高裁判所)のための所有権取得登記を抹消し、これを原告に引渡すべき義務がある。

四、金員の支払請求について

(一)  検証の結果によれば、昭和三六年九月八日の検証当時、本件土地、建物のうち母屋は東京地方裁判所の鬼沢事務局長が、門番所は同地裁職員が使用しており、他の建物は使用されていないことが認められるから、右同日以降は被告は右両建物を裁判所職員の宿舎として利用し、その賃料相当額の利得を得ているものというべきである。(証人鬼沢末松は、同人は留守番として居住しているものである旨証言しているが、裁判所宿舎として使用され、留守番も兼ねているに過ぎないと認めるのが相当である。)

検証の時以前の段階では、何時の時点から、被告が本件土地、建物を利用して利得を得たかを確認できる証拠はない。

(二)  鑑定の結果によれば、本件建物の賃料は昭和二六年四月当時は八一、〇〇〇円、昭和三七年一〇月当時は一一〇、〇〇〇円が相当であることが認められるから、昭和三六年九月当時の賃料は、右値上がり額を月数によつてあん分して一〇七、二六八円であるものと推測すべく、うち裁判所職員の使用している建物の賃料相当額は、各建物の価格(鑑定の結果によつて認められる。)によつてあん分して算出するのが妥当である。

そして、昭和三六年九月八日から翌三七年九月三〇日までの一カ月の賃料は、右一〇七、四一三円に三、六二七、八一〇円(昭和三七年一〇月当時の本件建物全部の価格)分の三、三九二、七八四(同時期の母屋と門番所の価格の合計)を乗じた額であり、原告の請求額一〇〇、〇〇〇円以上となる。

同様にして昭和三七年一〇月一日以降の一カ月の賃料は、前記鑑定の一一〇、〇〇〇円に基づいて算出すれば、原告の請求額一〇〇、〇〇〇円以上となる。

(三)  したがつて、原告の請求は、昭和三六年九月八日から本件土地、建物引渡しずみに至るまで一カ月一〇〇、〇〇〇円の限度において正当であり、その余は失当である。

五、よつて、原告の請求は以上認定の限度において理由があるからこれを正当として認容し、その余は失当として棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条但書を適用し、仮執行の宣言の申立は相当でないからこれを却下し、主文のとおり判決する。

(裁判官 田嶋重徳 定塚孝司 矢崎秀一)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例